★Facebookで外されても大丈夫・・・・幼稚な大人には鈍感力で対抗!

壁の向こうに仲間たちが
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<Facebookは取扱い注意のソーシャルメディアである>

 

ここのところ、そんなことばかりを書いて来たような気がする。
不用意に飛び込んで、失敗する人が多いのでやむなくの警告なのだが、
書くたびに「つまらないことを書いた」と気が重くなっていた。

 

■”被害者”にならないための応急処置法

ソーシャルメディアにはリスクもある、そんなことは承知で使ってほしい。
特にFacebookは実名主義、それなのにFB側の実名管理はお粗末だ。
だから「なりすまし犯」はいるし詐欺師もいる。
アカウントを何百も持って”友達”に悪事を仕掛ける者さえいる。

 

一方、ソーシャルメディアは現実社会とほぼ同じだから、
「ふつう」と思われる人々の中で、嫌な奴もいるし、意地悪な者もいる。
そういう者はたいてい「衆を頼んで人を貶めること」が得意だから、
周囲は顔色を見て、そいつが吐き出す毒気につい合わせてしまう。

 

まったく、人間ってやつは・・・・・である。
どうして一色でなければならないのか?
なぜ人と違ってはいけないのか?
SMAPが歌う「世界に一つだけの花」には声を合わせるのに、
本当は「和して同じたい」人たちばかりなのではないか。
だから一人声の大きい者がいれば、その者の煽動に乗って外しにかかる。

 

そんな人たち(者ども)の被害に遭ってあなたが泣くことはない。
心底そう思うから、以下のブログ記事で応急処置法に触れたわけだ。

★Facebookでうっとうしい人に投稿を読ませない法 ベストは「制限リスト」!

★Facebookで”顔出ししても大丈夫な設定”、やっぱりなかった!

壁の向こうに仲間たちが

カベをつくっているのはあなた自身かもしれない

 

 ■「外し」に遭った友達からSOSが

私が説いたのはネットの常識と、いざというときの緊急避難法だ。

 

こういう時代だから、まずプライバシーはがっちり守ろう。
その最も頑丈な例として「専守防衛アナグマ作戦」を示した。
Facebookはクチコミ機能を誇るソーシャルメディアだ。だから
不用意な発言が漏れ出さないよう、投稿範囲を自分で管理する。

 

そして、
特別苦手な人がいる場合のみ制限リストや忌避リストを使う。
さらに”特別な事情”がある人のみ相手をブロックして解放される。
※このへんは「うっとうしい人――」で復習を。

 

この辺までが常識的に許される範囲だろう、と思っていた。
しかし先日、友達から以下のようなメッセージを受け取った。

 

「何日か前から、グループへの投稿が読めなくなった。
また、特定の人にいいね!、コメントができなくなった。
こんな現象はよく起こるのでしょうか」

 

よくあるのかもしれない、気づく人は少ないけれど。
グループの投稿が読めなくなったとしたらメンバーを外された?
いいね!、コメントができないのは友達を解除されたか・・・・
正確なことは事象を直接見ないと言えないが、
なんらかの「外し」に遭っている可能性はある。

 

■制限リストやブロックはよほどの時だけに

緊急避難の方法を解説するのに急で、外される側の思いを忘れていた。
本来、外し行為や外しの心根を私は最も嫌っていたというのに。

 

ブロックをする人は、何人ブロックしても平気になってしまう。
こういう人が制限リストを覚えれば、次々と”指名”するのではないか?
しかしほんとうにそれでいいのだろうか。
ささいな行き違いで、同じ空気さえ吸いたくない気分になるとすれば、
それは少々度が過ぎるというものだ。

 

制限リストやブロックは自分を守るための伝家の宝刀。
濫用(らんよう)すべきものではない。
友達を解除されるだけのことでショックを受ける人はいる。
グループから外されれば私だって気分はよくない。
だから「宝刀」を抜くのはよほどの時だ。

 

■ソーシャルと現実世界は別物

ソーシャルメディアは堪忍袋の緒を切りやすい。

 

なぜなら、交流と言っても「言葉」のみを介した交流だからだ。
そこには観念はあるけれども生身の人間性が抜け落ちている。
観念や想念だけがぶつかりあえば、感情に容易に火がつく。

 

ソーシャルメディアのつきあいと生身のつきあいは全然違う。
ソーシャルメディアが下でリアルが上という意味ではない。
性質が違うのだ。
例えばFacebookでは、現実ではあり得ないくらい言葉を使う。
その意味ではソーシャルの方が深いかもしれない。

 

が、自分が落ち込んだ時、人を恨む感情に取りつかれているとき、
友や、あるいは伴侶は何も言わずに見守ってくれたりする。
こういう以心伝心はソーシャルでもあるかもしれない。
相手に深く寄り添っていれば人間の察知する力は予想以上だ。

 

しかし現実でもそうであるように、ソーシャルメディアを通じて
そういう関係になるのは容易なことではない。
たいていは他愛のないどうでもいいような会話が交わされるだけ。
(あっ、これは現実世界でも同じだ)

 

■気にせず忘れることもコツの1つ

だから私はメッセージを送って来た友にこう返事をした。

 

「あまり気にしないように」と。
今まで交流していた友達を突然解除するような人は、
しょせんその程度の人、つまり園児のような子供大人だ。
そんな人のわがまま勝手な行為に感情を乱されるだけ損だ。

 

こだわらず、忘れてしまうに限る。

 

現実でも、ソーシャルメディアの世界でも
私たちは多くのストレスにさらされている。
無用な感情の軋轢を抱え込まないようFacebookは対処法を用意した。
プライバシー設定、投稿範囲設定、制限リスト、ブロック・・・・・。

 

私たちにできることは、「対処法を適切に使う」に尽きる。
適切に使うのだ!
適切に使うためには少しは大人にならなければならない。
大人になるとは、世の中には多くの人がいることを理解することだ。
多くの人がいるのだから、すべて自分の思い通りになるわけではない。

 

わがままな人は自分を抑えること。
人のすることにとやかく言わない。
言われたら嫌なことは人にも言わず、されたら嫌なことは人にしない。
(もっともこれは理想論だ。そんな大人ばかりならいじめは起きない)

 

一方、人のことばかりが気になる人は
鈍感力とあと一つ、少しばかりの勇気を身につけよう。
嫌味を言われ当てこすられても知らないふりをする。
実際、何を言われても「それが何か」だ。
当事者は私であって、あなたではない。

 

■大切に思ってくれる人を大切に

以上、私はどちらにも無理難題を言っているのかもしれない。
身についた性格が一日一晩で変わるわけがない。

変わるわけがない人たちと私たちはつきあっていかなければならない。
自分だって、変われないのだ!

 

五十歩百歩だ、どちらがマシかだけの話。
私やあなただって「人にストレスを与える人」なのかもしれない。
それでも交流してくれる人がいるとすれば、そういう人を大切にしたい。
そう思うことがソーシャルメディアの極意かな。

 

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ジャーナリスト石川秀樹>■■電本カリスマ.com

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