★初期のFacebookは“チョイ悪な名鑑”だった!! | 黎明期のFacebook ②

ハーバード大学
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2004年2月にマーク・ザッカーバーグが「ザ・フェイスブック」をローンチした時、現在おなじみの機能、いいね!やシェア、タグ付けはおろか、そもそも「ウォール」や「ニュースフィード」といったページもなかった。チョイ悪な下心をもったネット版の写真付き履歴書にすぎなかったのである。

 

■「Facebookは拡散ツールだ」と勘違いしていた

えっ?「それが何か」といいいますか?
でも私はずっと、Facebookの元の姿を見たいと思っていた。
なにしろ日本では、早い人でもFacebookを使い始めたのは2010年頃からだ。
その時点で誕生から6年。わずか6年だが、Facebookの機能追加は早く、劇的で、元の形とは似ても似つかないくらいに進化していた。

 

2010年、私の記憶ではFacebookは押しも押されもしない「情報受発信ツール」だ。
そして日本では2011年、12年にかけてFacebookが爆発的に普及していく。
当時の合言葉は「Facebookはビジネスに使える」であり、一斉に最先端のSNSを迎え入れた。
「ツイッターの次はFacebookだ」というような時代の空気があり、待望されていた。

 

私も夢中になってFacebookに取り組んだ。
出版業を始める前だったが、始めればコレが最強のPR手段になると信じて疑わなかった。
だが使い始めてしばらくすると「おかしい!」と思い始めた。
Facebookには変なクセがある。いつの間にか自分の周りに小さな輪が出来ていくのだ。
輪の中にいると心地よい。でも・・・・
『俺がしたいのは情報拡散だ。わずかな人にばかり伝わるだけでは意味がない』

 

なんとか輪の外に出て、もっと多くの人に私を知ってもらいたいと思ったがうまくいかない。
ツイッターのように友達の数を追求しても効果が出て来ない。
首を傾げながら1年使った。その頃には鈍感な私にも「ダメな理由」が分かってきた。
Facebookというサービスの目的自体が、私の狙いとは違っているようなのだ。

 

<Facebookは人と交流するためのツール>
今では当たり前にいわれている。当時も分かる人はわかっていたのかもしれない。
しかしFacebookの本を書いていたプロフェッショナルも当時、本当にはFacebookの本質を理解していなかったのではないだろうか。

 

■Facebookの最初期の姿を探していた

Facebookはあまりにも情報発信しやすいツールなのだ!
狭い範囲でなら誰でも“有名人”になれる。
もっと知られるようになりたい、それなら輪を広げるだけだ。
そんな錯覚を誰しも持ちがちだったし、事実、もっていたのではないだろうか。

 

Facebookの誕生は2004年2月。
2010年のFacebookから使い始めたので、私は完全に情報拡散ツールだと勘違いしていた。
これだけ集団で勘違いしている事例はめったにある者ではない。
それで急に、「Facebookの本」を書きたいと思い始めた。

 

 

日本では多くの人が「Facebookの交流ツール的な本質」を読み違いしている。
今から思えばそれこそ「それが何か?!」であり、人がどのようにFacebookを使おうと本人の勝手なのだが、私も“ビジネスを成功させたい一業者”。その立場で言えば、“仲間たち”に広く伝え、Facebookの本当の活用法を一緒に考えて見たかった。

 

一瞬でFacebookの本質を伝えるにはどうすればいいのだろう?
プロトタイプ(原型)を見せる!
最初のFacebookにこそ、作者の意図が吹き込まれているはずだ。
だからずっとそれを探していた。
でもFacebookはネットの中で進化した。「プロトタイプ」など残っているはずがない。

 

■見つけた!コレが最初のFacebookだ!!

きのうまでそう思っていた。ところがきょう―――
半日つぶしてGoogle検索をしているうちに、こんな記事に遭遇した。
スタートアップ関連情報をまとめたブログ「TURN YOUR IDEAS INTO REALITY」を運営している郡裕一さんが、米BusinessInsiderの記事を翻訳したものである。タイトルは―――
「Facebookが2004年にローンチしたとき、たった8つの機能しか実装していなかった」

 

郡さんの翻訳記事によると、Facebook社の初代CTOであるアダム・ダンジェロ氏は「ザ・フェイスブック」最初期の機能について以下のように答えている。

 

1. ユーザーアカウント (実名必須)、harvard.edu ドメインのメールアドレスに制限
2. 友達と友達リクエスト
3. 招待 (アドレス帳のインポート機能はなし、つまり1つ1つ手打ちでメールアドレスを入力する必要があった)
4. プロフィール:1人につき1枚だけの写真
5. 個人情報の表示:性別、誕生日、寮名、電話番号、好きな音楽、好きな本、自己紹介、そして大学でとっている講義
6. 検索:名前、学年、講義、他の個人情報
7. 友達のみ表示、同学年のみ表示、などのプライバシー制限
8. 後に廃止したフレンドグラフをビジュアルで表示する機能

 

これだけでは見出しに付けた“チョイ悪”の部分がわからないかもしれない。
先日私は、Facebookの黎明期を伝える記事をもう1本書いている。

★ザッカーバーグの思いが独特のアルゴリズムを生んだ | 黎明期のFacebook①

その中で「ポーク(poke)」という機能について書いたのだが、これなど日本語で言えば「あいさつ」というより「ちょっかいを出す」という感覚に近くチョイ悪気分をよく表している。(ダンジェロ氏の記憶にはなかったようだ。その後すぐに実装されたと思われる)

 

「実物」を見てみよう。
下の写真は、ザッカーバーグの初期のプロフィールページだそうだ。

 

Facebook初期ザッカーバーグのプロフィールページ

最初期のFacebook、ザッカーバーグのプロフィールページ(日本語の注は郡裕一さんが追加)

 

■たった1ページのザ・フェイスブック

2004年当時、「ザ・フェイスブック」のページはこの1ページだけだった。
ウォールやニュースフィードという概念自体が、この段階ではまだない。
実にシンプル。
人物カルテのようではないか。

 

できることといったら、▼友達を検索▼自分のプロフィールの編集▼友達・グループ・パーティの表示▼留守メッセージ(away message)を残す▼アカウント設定▼プライバシー設定など。
このほか誰がアクセス中かがわかったり、他大学にいる友達へのリンクもあった。
プロフィール欄はありきたりだが、「Looking for(探してる)」などという項目もあり、学生たちはこういうところに気が利いた(つまりチョイ悪を気取った)フレーズを書いて注目されようとしていた。

 

交際ステータス、関心、好きな音楽・本・映画などはおおむね現在の設定と変わらない。
しかし学生たちは夢中になってこのプロフィール欄を埋めた。
ストーカーが泣いて喜びそうな項目ばかり。まじめな日本人ならビビッてしまいそうだ。
(事実、現在のFacebookプロフィール欄をこのように熱狂的に埋める人はほとんどいない)

 

■ここはハーバード、人とのつながりがステイタスだ

「ザ・フェイスブック」は名前の通り、“電子版人物名鑑”にすぎなかった。
現在のFacebookでいえば「基本データ」が1ページだけあるイメージだ。
現在と違うのは「基本データ」の項目1つひとつにソーシャル性を強く持たせていたことである。

 

プロフィールの変更はただちに友達に伝えられた。
すると半ストーカーのような気分になっていた友達がページをのぞきに来る。
そう、彼らは相互に友達のページを訪問していた。友達の情報を確認するために。
(プロフィール写真を変えても見向きもしない現在のユーザーとずいぶん違う)

 

だから学生たちはこれ見よがしに自分のプライベートを書いた。
書く方も見る方も、異性を強く意識して、文面には趣向を凝らした。
しかも、ここはハーバード大学だ。ユーザーはエリートで自信満々。
ザ・フェイスブックはさらに自分を「重要人物」に見せるための舞台であり、好ましいパフォーマンスを見せる機会だった。

 

自分のことを見せたいのと同じくらいの情熱を傾けて、みなは同級生や寮の仲間、友達となった人物の動向を知ろうとしている。大学という狭いコミュニティの中で、人とつながることは最大の価値であり、ステイタスそのものだったからだ。(ユーザー資格がハーバード大学から与えられるメールアドレスだったから、安心感もあった)

 

ザ・フェイスブックをキャンパスにローンチした当初から、ザッカーバーグの中には「ひとは親しい人の動静を知りたくなる」という感覚があったに違いない。
親しい人は誰と友達になるのか、どんな趣味がある? オフにはどこに行く? 誰と話している? 一挙手一投足が気になる。これは恋人なら当たり前の感情だ。恋する男はある意味、全員がストーカーの要素をもっている。
しかし、根掘り葉掘り聞いたり、つけ回すのはクールじゃない。

 

<ザ・フェイスブックにお任せを。僕のソフトなら、それができる!>
ザ・フェイスブックはそのためのツールとしてデビューし、受け入れられた。

 

■ザッカ―バーグは「アルゴリズム」を知っていた

ザ・フェイスブックの初期の機能は(今日から見れば)限られていた。
それでも「away message」のような書き込み欄があった。唯一のフリー投稿欄。本来は“留守にしてますメモ”だが、学生たちはここにどんなメモを残すかに知恵を絞った。学生たちを夢中にさせる仕掛けがあった。メモが書き換えられると友達に通知されたのだ。
たった1ページではあったが、随所にFacebookらしいソーシャル性の芽がのぞいていた !!

 

<友達のことをこの僕ならクールに知らせられる>
ザッカーバーグには確信があった。なぜなら、前の年、彼は友人と共に音楽再生用のプレーヤーソフト「Synapse Media Player(シナプス)」をつくり、利用者の再生履歴を元にユーザーが好んで聴きそうな曲目を次に掛ける、というプログラムをつくっていたからだ。
Facebookのアルゴリズムとそっくりだ!!
『いつかはこの機能を使ってやろう』
この当時、彼は思いをめぐらせていたはずだ。

 

リリースから数カ月がたち、ザ・フェイスブックユーザーの中には友達を増やすことに躍起になる者も出てきた。ザ・フェイスブックを見れば友達の動静が分かる。分かると思うと矢も楯もたまらない。気になる友達の頻繁に書き換わる「メッセージ」を見に行く。といっても、300人、400人のページを追い続けるのはかなり難しい。まして1000人を超える友達のページなど、追い切れはしない。
ザッカーバーグの思いは『何とかしなければ』に変わっていく。

 

■「ウォール」と「グループ」機能を追加

ザ・フェイスブックを発表して7カ月後の2004年9月、満を持して、プロフィールに「ウォール」といわれる機能を追加した。本人しか書き込めなかったプロフィールに友達も書き込めるようにしたのである。
これは相手への公開のレターみたいなものだ。

 

この機能追加によって、ザ・フェイスブックは半歩、現在のFacebookに近づいた。友達が書いたメッセージに対しては、ウォールのオーナーはもちろん、投稿を読んだ他の友達もコメントすることができた。
ソーシャル性が一気に増した。

 

この重大な改編と同時にザ・フェイスブックはグループ機能も追加している
ユーザーなら誰でもグループを作れることになった。
同じ寮の仲間、親しい友達同士、趣味を同じくする人、そして恋人たち……。
ネットの中で本物のコミュニティをつくることが可能になったのだ。

 

2つの機能実装によってFacebookに対するユーザーの滞在時間は増え、情報量は飛躍的に膨らんでいくことになる。

 

■友達をタグ付けした写真=ソーシャル性の魔法

さらに2005年10月にFacebookは(ザ・フェイスブックから改称)写真機能を追加した。その写真では、写っている友達をタグ付けできた。写真にタグ付けすること自体は、Facebook以前の写真共有サービス「フリッカー(Flickr)」にもあった。写真に場所や状況などのキーワードをタグしておけば、タグによって写真を検索できるようになる機能だ。

 

Facebookが実装したのは、写真に人物をタグ付けする仕組みだ。
ユーザーが友達をタグ付けすると友達には通知が届けられ、同時に、プロフィール内の友達リストの横に小さな「印」が現れる。ほんの小さなアイコン。でも、若い彼らにはそれが重要だった。タグ付けマークが表示されないようでは人気にかかわる。重要人物とみなされない。
みな必死で写真を撮り友達をタグ付けして、お返しに自分がタグ付けされるよう願った。

 

写真にソーシャル性を持たせたこの機能追加によって、Facebookへの滞留時間さらに伸びた。
この現象はザッカーバーグに、SNSにソーシャル性(関係性)の仕掛けを施すことによってコミュニティの参加者に強い仲間意識が生まれることを気づかせた。
ひとは自分に関心をもつ人のことが気にかかる。
ソーシャル性の魔法である。

 

この間、Facebookはハーバード大からアイビーリーグの大学(ハーバード、イェールなど名門私立大学8校)に広がり、順次、他大学でもサービスを開始、さらに2006年2月には高校生にまで開放された。
登録は学校単位だった。つまりコミュニティごとに順次拡大していったわけである。
サーバーを逐次増強しながらそれに合わせてユーザーを広げ、サーバーのパワー不足によるパフォーマンスの低下を巧みに避けた。またコミュニティ単位にしたのは「本人性」、つまり実名登録を徹底させるためでもあった。

 

 

ジャーナリスト石川秀樹>■■電本カリスマ.com

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