なにしろ20歳の娘さんだ。
当時私は30歳。
地元新聞社に送られてきた写真集を見て、魅かれたから取材したのだが、
今日の写真家、ジャーナリストである外山ひとみをまったく想像していない。
結婚観もまさに「昭和」。
女は嫁にいくのが幸せみたいな空気が、当時“革新”を狙った紙面
「ニューライフ」にも色濃く投影されている。
心配な女の子を温かく見守る、みたいな流れ。
しかし写真家の北井一夫さんはさすがに
「表現したいものがある限り、粘り強くがんばっていくしかないですね」
とエールを送った。
期待以上だったと思う。
20代でサイケな10代少女たちの虚勢と実像を撮り、
30代半ばにはヴェトナム南北1万キロを小型バイクで駆け抜けた。
戦争から平和への過渡期、復興をめざすエネルギーを活写した。
世紀の変わり目にかけては「Miss・ダンディ」を撮った。
性同一性障害を抱えて男性として生きる女性たちの像だ。
そして、25年間追い続けたのが“塀の中に入った女性たち”。
女子刑務所の日常を撮り、昨年、3冊の本に結実した。
誰にも負けないほど粘り強かったのだ。
10年前、写真集の話で新宿で再会した。
線が細くて目力(メヂカラ)も弱かった“ひとみちゃん”は、
筋肉たくましく豪快に笑う、意見をはっきりいう女性に変わっていた。
写真集の話は富士山だった。
「煙突と電線に囲まれた日常の富士山なら撮ってみたい」
製紙のまち富士市に育った外山ひとみの観る富士は、
眉目秀麗な富士を蹴散らすような自己主張する富士だった。
世間の規格にはまらない人を多く撮ってきた彼女は、
強さが目立つ一方、家族思いで常識をよくわきまえた人でもあった。
規格外れだから、今度もスルッと病気をかわすだろうと思っていた。
でも、すなおに運命にしたがってしまった。
お疲れさま、ひとみさん。
心よりご冥福をお祈りします。
■外山ひとみさんのことを書いたもう一つのブログ
★写真家・ジャーナリスト 外山ひとみさんが見てきたもの (アメブロ)
石川様、FBでも友達になっていただいています。浜松在住で外山さんとは彼女が入院なさる直前の新宿での刑務所の個展の折にお話をする機会がありました。その時「体調は最悪で耳が痛い」とおっしゃっていましがまさか、それほど深刻なご病気とはしりませんでした。体調不良でも大変に迫力、気力のある方だなあと感心しました。入院されてからFBに書かれる文章に、何と強い意志を持った格好良い人なんだろうと学ぶ事が多かったです。これからますますのご活躍をと祈っていましたのでご逝去を本当に残念に思いました。私も静岡県の全日写連に今も籍を置いていますので、何か外山さんには近いものを感じています。市川恵美
市川恵美さん、コメントをありがとうございます。
55歳といえば働き盛り。生きたい盛りに病に侵される。想像を絶する苦しさだったと思います。
でも、彼女が書くと「なんでもないこと」のように見えて、こちらも楽観してしまう。
照れ屋なんですね。すばらしい女性でした。過去形で書くのがとても残念です。
市川さま
私も新宿での個展でひとみさんにお会いし、あなたと同じように受け留めました。
受刑者・刑務所を通して「日本社会」の現実を伝えた彼女の表現力に敬服していました。
彼女の根底に人間愛があふれていたと思います。帰らぬ人となってしまった「外山ひとみ」さんをハグします渾身の力で∞…