★ガラパゴス化してないか、日本のFacebook!? 過剰適応は衰退を招くだけ

ガラパゴス化
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先ほどFacebookページにこんな投稿をした。
日本のFacebookの現状が歯がゆくて、つい口調が厳しくなった。
炎上覚悟。というより、そこまで怒ってくれれば御の字だ。

◎特殊な歩みを「進化」と言えるのだろうか?

今このページを開いたら、Facebookからこんなメッセージが届いていた。
Facebookの広告を使う人が200万人に達したそうで、その礼状だ。
詳細情報の画面をキャプチャーしたのがこちらの画面だ。

FBから広告のお礼メッセージ

Facebookページを開いたら、Facebookから広告のお礼メッセージが届いていた

 

曰く、「ノースカロライナ州の2児の母△△は――」
「インドの――」「ブラジルの――」「韓国の――」
これらはいかに”普通の人”がFacebookで成功したかの事例。
4組の輝かしいサクセスストーリー・・・・。
日本人のはない。

 

もしかするとこれは世界共通のメッセージなのかもしれない。
だからたまたま「日本での成功」を例示していない?
その可能性が高いと思いつつ、
『日本では(見せようにも)格好な事例がないんだろうな』と想像してしまった。
Facebookは「Facebookをビジネスの機会にしたりきっかけにすること」を禁じていない。
禁じないどころか、このようにお礼のメッセージまで出して広告を使えといっている。

 

Facebookはもちろん「交流の場」ではあるが、あなたのビジネスのためにも
もっと使ってほしい、と懸命に訴えているように私は理解した。
それなのに日本の現状ときたら・・・・。

 

日本のFacebookはガラパゴス化!?

 

今まで私は何度もこの問題について発言してきた。
少しでも商売のにおいがすれば無視を決め込む、
誘導や勧誘はどんなにすばらしいイベント、商品であっても聞く耳持たない、
Facebook内の(タイムラインに現れる)広告はどれも迷惑広告!
そのくせ「友達5000人増やしましょう」のようなグループで
怪しげな”美女?”に誘われれば、何百人もがいいね!する。

 

まったくもって日本人ユーザーの妙な潔癖さと、脇の甘さはどうだ。
人ごとながら、大きなお世話ながら、キツイことを言いたくなってくる。

 

Facebookはガラパゴス化?

日本のFacebookはガラパゴス化しているのかもしれない、と感じている

 

ガラケー“などと言われる日本のケータイのガラパゴス化は、
決して恥ずべき現象などではない。
企業が覇を競って、精緻になりすぎただけのことで、
高度な機能、センスに寄り添う姿勢はほめてやりたいくらいのものだ。

 

しかしFacebookにおけるガラパゴス化は、
ひとことで言えばリテラシーの低さで、「恥ずべきだ」と思う。
実名のソーシャルメディアにいながらなんの用心もなく、
人にコワいと言われればうのみにして触れもせず、
ビジネスタブーと言われれば、それも信じて頑なにスルーする。

 

もっとFacebookは現実の世界に近づいていい。
広告のないテレビ、新聞・雑誌が考えられるか?
詐欺師のいない社会があるか?
どんな会社だって鵜の目鷹の目であなたを狙っているではないか!
玉石混淆、ウソもマコトも飛び交う中、私たちは生きている。

 

リアルがそのようなのに、SNSの中だけ身ぎれいで行儀よい。
それも自分の意思というより、「そんなものだ」と聞かされて。
もっと自分を信じて自由にふるまえばいいではないか。
空気(くーき)なんて関係ない、仲良しごっこ、リア充ごっこじゃあるまいし。
いい加減、おとならしく、もっと利巧になろうぜ!

 

と、Facebookの謝辞をネタにここまで書いてしまう私はバカだ。
心がざわついたら、ゴメン!

 

■Facebookよ、現実社会の縮図たれ!

つくづく自分は”Facebookバカ”なんだと思う。
見限ってしまえばすっきりするのに、いまだに期待する気持ちがある。
切に願っているのは「現実社会のよき縮図になれ(なってくれ)」だ。
文中に書いたように、現実社会に虚実があるようにFacebookにだってあっていい。
 
 
あってもいいが、ゆがんだ縮図では困るのだ。
日本のFacebookの今の現実――――
  • SNSなのに気兼ねばっかり、空気を読むような迎合投稿にコメント。
  • 一方で、Facebookのアカウント管理の弱さを突いた悪質業者の横行。
  • 一目で見破れるのに、”美女”がサクラ投稿すれば、いいね!が殺到。
     
なんでもありで構わない。
自己責任だと言えばその通り。
しかし「自己責任」だなんて言えるほど、みんな成熟しているのか。
自分を解き放って、言いたいことをちゃんと書けているのか。
実名に慣れないからと言って、左右を見て書くのは過剰適応だ。
 
 
 

■Facebookがじり貧では困るのだ

後発LINEは今や5000万人と言う(私はうのみにしてないが、数は多い)。
対するFacebookは思いきり背伸びしても2000万人(実質は半分以下だろう)。
土台、周りに合わせる文化の日本人には無理なのだ、とは言いたくない。
 
 
私はFacebookの情報発信力にものすごく期待している。
無名の人間がここまで書け、ごくたまにではあっても、
何千、何万人に読んでもらえるメディアなどそうありはしない。
だからFacebookはもっと伸びてほしいのだ。
 
 
しかし今のままだと、よくて「ジリ貧」。
悪い想像をすると、数年後は「閑古鳥」になりかねない。
そういう想像はとても寂しい。
だからこその檄文(げきぶん)なのだけれど、わかってくれないかな。
 
  
 
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