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★実名にビビる日本のユーザー! Facebookをつまらなくさせた自己規制
「Facebook ビビる」「Facebook がっかり」「実名 ビビる」などで検索した場合、この記事が検索トップにランクされます(2014/3/24現在)。
確かに大きな反響をいただいたのです。
しかしその後、新しいブログに記事を移すとき、大幅に加筆しました。
前半筆者のSNS歴を加えたため、文章が長くなってしまいました。
それで記事を2つに分けました。
私の主張部分は「後半」に収容したために別URLになりました。
だからお読みになりたいのは ↑ 上の記事だろうと推測します。<筆者>
■ □
ここだけの話、Facebookには少々がっかりしている。
ツイッターにはまったのは2010年6月のことだった。
せっせとフォロワー集めをするかたわら、同年9月にはmixiをかじった。
しかし“mixi文化”にはなじめず、ほどなくして離脱。
12月にFacebookを始めた。
Facebookは私にとっては3度目のソーシャルメディアだった。
「実名主義」である。
これぞ待ち望んでいたメディア!!
本気でそう思った。
表の顔と裏の顔と、そんなめんどくさいことは性に合わない。
いつでも正面からストレート勝負。
そうしか書けないのだ。
で、夢中になって3年間。
この3年間というのはたいへんな日々で、
2010年10月から司法書士試験(後に行政書士試験)の勉強を始めた。
ツイッターのフォロワー集めも、Facebookの投稿も継続。
翌11年2月には、静岡新聞から静岡放送に転出した。
一兵卒に戻って慣れない仕事にあくせくしていた日、
3月11日に東北大震災・津波が起きた。
直後に僕は、アメーバーでブログも始めてしまう。
仕事、勉強、そしてソーシャルメディア。
3足のワラジを履いて11月に受験した行政書士試験は、
年が明けた12年1月末に結果発表、「不合格」だった。
当てが外れた。でも、やるっきゃない。
受験勉強は続けた。
一方で日に日に原発汚染はひどくなっていく。
殿さま企業、東電の首根っこを誰もおさえられない。
歯ぎしりしながらFacebookに連日のように投稿した。
こんなに読み手からの反応が得られるメディアはなかった。
編集局長時代に1面コラムも担当していた。
反響は? ほとんどなかった。
自分のせいというより、新聞と読者の関係はほぼ一方通行だということ。
Facebookは記事に直接コメントされる。
まことにゾクゾクするような反応のよさ!
このころがFacebookとの蜜月だったのだろう、と思う。
が、そのうちおかしな現象に気がつく。
「いいね!」の数が止まるのだ。
やがてFacebookページを創って「表示数」が出てくるようになって、
いいね!が止まる理由がわかってきた。
Facebookの奇妙な現象は、もちろんこれだけではない。
『おかしいな』と思うと、がぜん、おもしろくなってくる。
「なぜだ」と興味がわいてくる。
自分で確認しないではいられない。
それでいろいろ実験投稿したり、少しずつ取材も始めた。
2012年2月末、39年間勤めた新聞社を退職した。
不思議なことに、なんの感慨もわかなかった。
そんなことより、やるべき次の仕事が待ち構えていた。
3月16日に自分の会社、ミーツ出版(株)を設立。
言い落とした。
前年11月に2回目の行政書士試験を受け、12年1月末に合格。
だからこの年は、3月に出版社、8月行政書士事務所開設と、忙しかった。
さらに、Facebook関係の取材も重なった。
2年間が駆け足ですぎていった。
そして2013年だ。
夏には初の著作が完成した。
もちろんFacebook活用のための本。
この年、「電本館」の事業を立ち上げたので、
初の電本(電子書籍)は自分の本で、と思っていた。
それから3度書き直して、12月に3部作にして正式リリースした。
Facebookと深くかかわった3年間だった。
しかし今、「Facebook」が僕の中で、過去形になりつつある。
よいも悪いも、愛情をもって見てきたつもりだ。
今も「Facebookは社会を変える力をもっているツールだ」と信じている。
でも<日本発の“改革”には絶対になるまい>、とも思う。
(結論はここからなのに、「まえおき」が長すぎた。続きはあした)
★実名にビビる日本のユーザー! Facebookをつまらなくさせた自己規制癖