サクラ並木の下を歩きながら、若いころのことを思い出していた。
なぜだろう・・・・若死にするように思っていた。
幼稚な自己陶酔の一種だったと思う。
<30歳まで生きられればラッキー>だなんて。
裏返して言えば、死ぬことを心の底から恐れていた。
人はみな死ぬ。
ここだけは100%公平。
それは考えようによっては、救いでなくもない。
(どんな権力者も必ず死ぬ、と考えればね)
はや満開のサクラの下で、若いころの想念を思い出していた
けれども20代の僕には恐怖だった。
それでとことん考えた、本も読み漁った。
結局、死んだら何も残らない。
「死は無である」と思った。
無に帰す以上、生もまた、つまらない。
生きているのは(怖くて)死ねないだけだ、と思っていた。
なんとおそまつな青春だったのだろう。
勉強もせず、スポーツもやらず、古本屋街をさまようだけ。
ほとんど下宿に引きこもっていた。
ニヒリズムの罠に陥りながら、
虚無を見すえる自分は潔い、などと考えていた。
やはり感じ方、考え方、結論の導き方は年齢によって違う。
成長したというのではない。
若造もここまで来るまで40年、十分もがいてきた。
経験を積んだのである。
今は「死のこと」は脇においている。
それより、どう生きるかだ。
若いころは「名を残す」なんて意味がないと思っていた。
(名を残す自分がそのときにはいない、などと理屈をつけて)
近ごろは「残る仕事をしたい」と思い始めている。
仕事は生計を立てるためだが、「人の役に立ちたい」気持ちもある。
<自分などなんの意味もない>
という思いは、昔も今も根強く胸の内にある。
しかし「意味がない」から生きる意味がないとは考えなくなった。
自分という存在は「無」同然でも、なにか一つでもこの世にプラスが残せればいい。
とりあえずは「自分の言葉」かな。
人は誰も死ぬものだけど、生きることには意味がある。
このことだけはしっかり伝えたい。
こころ折れそうな人にも、
誰かに認められたいのに振り向いてもらえない人にも、
自分のうっぷんを人に晴らしてつまらない人生を送っている者にも。
自分を認め、人も認めなければね。
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石川さん、こんにちは。
どう生きるか
私も日々もがいています♪