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★Facebookバカの独り言、 「Facebookをやらなくていいんですか?! 」

 

Facebookバカである。
Facebookに今さらながらのラブコールを――。

 

Facebookが日本で大いに普及し始めたのは2010年頃。
あれから5年、Facebookの仕組みの複雑さにはだいぶ慣れてきたけれど、
やっぱり”奇妙なソーシャルメディア”だな、という思いは抜けない。
計算通りになかなか働いてくれない。意気込んだ投稿はたいがい空振り。
だがそうかと思えば、想像もしなかったような“大拡散”をしてくれることもある。

 

■LINEがあってもFacebookが「1番」だ!

私は地方新聞社で記者や紙面制作者を長い間、務めてきた。
マスメディアにどっぷり浸かっている当時、ソーシャルメディアにまったく興味がなかった。
入社36年目にして初めて編集局から離れ、インターネット関連部署に異動した。
せっかくだからとツイッターを始め、半年ほどしてFacebookも使うようになった。

 

使い始めてすぐに気がついたのは「計算が効かない」ということだった。
『なんだ、コレ!』といった感じ。
だからせっかくFacebookアカウントを取ったのに“それっきり”になっている人がいても、
驚かないし、その気持ち、わからなくもない。

お店を出すよりFacebookの方がコワい?!

 

しかし、Facebookを使わなくていいのだろうか。
Facebook以降、LINEの大成功があった(今やユーザー5000万人!)。
投稿がそのままおカネに直結するという「thu(スー)」も話題になった。
しかし”Facebookバカ“の私には、今でもこいつが一番に見える。

 

■ソーシャルメディアを見誤るマスメディア

重ねてお聞きしたい。Facebookを使わなくていいのだろうか?

 

小なりと言えども地方でお山の大将であった新聞社にいたから、メディアをかじった者の
通弊として「ソーシャルメディア(個メディア)」を軽んじる気持ちも理解できる。
理解できるが、賛成はしない。どころか「君らはバカだ!」と言いたくなる。
マスメディアだけが信頼される発信ツールだ、と今もそんなことを信じているのか?!

 

君たちは、二重にソーシャルメディアの価値を見誤っている。
第一、「信用できる発信」はマスメディアの専売特許ではないし、信用も下落気味だ。
それに対してソーシャルメディアは玉石混淆といわれるが、集合知は低くない。
コチラの側にもアマチュアとプロがおり、アマといわれる人の中にも、
マスメディアの記者、レポーターより公平で洞察力に富んだ人は数多くいる。
「ソーシャルメディアは信用できない」という物言いは、根拠のない自信だけが
肥大化してしまったマスコミ特有の妄想であり、決めつけである。

 

第二、もっと的外れなのはソーシャルメディアの価値を「発信」のみにおいていること。
その「発信」のイメージも”ニュース分野”しか想定していない偏狭さである。
Facebookで日々発信している人たちは、もちろんニュースなど眼中にない。
私たちが発信しているのは「わたくし」である。「自分」という個性なのだ。

 

実名で文字を書き、写した写真、描いた画像、撮った動画等をアップし続ければ、
いやでも「わたくし」という個性、この世にただ一つのものが立ち上がって来る。
大メディアの匿名報道とはそこが違う。私たちは常に実名。世間に顔をさらしている。
そこまでのリスクを負いながら、大多数がそこから1円も稼ぐわけではない。

>2ページに続く↓↓↓

 

■「信用」を築かなければ何も始まらない

私たちが築かなければならないのは「信用」だ。
マスメディアが長い年月をかけて築いてきたと同様、私たちは実名で語ることによって
「わたくし」とは誰か、何をして、何をするために生きているのかを世に問うている。
そんな危なっかしいものに大勢が参加し熱中しているメディアは、Facebookをおいて他にない。

 

私は商売を営む人も、本を書きたい人も、事業家も皆、Facebookをやるべきだと思っている。
なぜなら、一昔、ふた昔と比べてさえ現在は、格段に「個人」が生きにくい時代だからだ。
世の中のルールがすっかり変わってしまった。

 

「立地主義」はもはや通用しない。
地方のまちになんとシャッター商店街の多いことか。
商店街は活況の中心どころか、今やそこに店が在ることがペナルティにさえなりかねない。
(さびれた感の漂う中では、ひとり”わが店活況”というわけにいかない)
「うちのは商品がいいから」「最高のものを仕入れている」という製品主義も通用しない。

 

世の中には安くて良い商品があふれている。良いもの同士の比較だ。
コンビニが今やメーカーの尻を叩いて独自商品を次々売り出す。
強いところがたゆまぬ努力を重ねているのだ、地方の個店の苦境はいかばかりだろう。

 

よくクルマで取材旅行に出掛けるのだが、たいていコンビニで用を足してしまう。
講演に行った先日もそうだった。
『はて? 私はなぜコンビニに寄ってしまうのか』
理由はたぶん簡単なこと。不安がないからだ。どこの店に寄っても当て外れがない。
つまり業態が(お客様の側に)刻み込まれている!

 

では個々の店や弱小・零細な会社に立ち寄ってくれる人はいるだろうか。
私たちは「知ってもらうために」なけなしのおカネを広告に回したりする。
業態も想像されない、まして店の中など見当もつかない。だからこそ看板を出し、
ウインドウを製品で飾り立て、時おりは広告まで出してみる。

 

そんなささやかな努力をしても、店も会社も知られなければ、「わたくし」のことなぞ
どこの誰とも、想像さえしてもらえない。「評判」なんて少しも生まれないのだ。
地縁がなくなり、人の縁も薄くなりがちの今、ますます会社や学校がエラクなる。
そこに”帰属”していなければ、私が私と認めてもらえないようなうすら寒い恐怖感。

 

■Facebookは現代人必須の情報技術だ!

だからこそ三度問いたい。Facebookをやらなくていいんですか?

 

私は群れるのが苦手なのでめったに会合に出掛けないが、事情があって先日、
Facebookが縁で行われた集いに参加した。そこでおもしろい人に出会った。
「こんな会合に出ていますが、Facebookはコワいと聞いているので私はやりません」
静岡市内でフラワーショップを開いているという女性なのだが・・・・。

 

こういう人に会うと、私は妙に気持ちがざわついてしまう。
「コワいって、あなた現実にお店をオープンしているんでしょう?」と言いたくなった。
でもやめた。お店を開いて客(人間)と接する方がよほどリスクは高い、と思うのだが、
こういう人にそんなことを言っても始まらない。きっとFacebookなんかをやらなくても
お店は繁盛しているのだろう。

 

こういう人が残念ながら、非常に多い。
Facebookがコワい。何が? 個人情報が漏れること? プライバシーが?
いつの間にか日本では、商売がうまくいかないリスクより、人との微妙な関係が
ギクシャクするような情報が漏れ出すことの方が恐ろしいことになっている。
なんという本末転倒だろうか――、という意地悪は言うまい。

 

しかし会社を経営する人、お店を持つ人、個人事業主、営業の担当者、専門家、
芸術家や技術者・技能者、そのほか真剣に仕事に取り組み成果を上げたいと思う人は、
一人残らずFacebookを始めた方がいい、と私は本気で思っている。
リアルな交流とあいまって、Facebookは「わたくし」を表に出してくれるツールだから。

 

Facebookはじゃじゃ馬で扱いづらいが、使わなくてはいけない。
勝つ条件が格段に難しくなった今、「個人」が成功するために
Facebookを乗りこなすのは現代人必須の情報技術である。

 

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ジャーナリスト石川秀樹>■■電本カリスマ.com

石川 秀樹: