YouTubeの動画「鷹の選択」をご覧になった人は多いと思う。
私は毎月通っている「経営維新塾」で講義の一環として観た。
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■あの鷹に自分を一瞬、重ねてみた
初めて観たとき「ホーッ」と思った。
正直いって、自分と重なるところがあった。
定年退職後、62歳で私は出版社を創業した。
成功への”ヒント以上のもの”を求めて
受講料安くないこの塾に通っている。
素直に観れば感動できる動画だった。
鷹になぞらえて何らかのコメントはできたかもしれない。
しかし、塾長に感想を求められ
「この話、本当でしょうか」とトンチンカンに答えてしまった。
できすぎたストーリーに、つい天邪鬼の心理が働いた。
本当は、ウソかホントかなんて、どっちでもよかった。
この話の本質は<あなたは変われますか?>という問いにある。
その答ならだんぜん「諾(ウィー)」である。
定年後、余生どころではなく、新しい事業をひとりで始め、
成果はいまだ出ないものの、忙しい毎日を過ごしている。
■「老いてなお」がテーマなのだろうか
「鷹の選択」について書いた下のブログは多くの人に読んでいただいた。
★動画「鷹の選択」できすぎたストーリー、拡散させるあなたにも責任!
「事実」の読み取り方、については”公平”に書けたと思う。
話をうのみにせず本質をつかもう、という意味では。
しかしきょうは、もうひとつの主題について書いてみたい。
<老いてなお>のところが私には引っ掛かるのだ。
年に関係なく「新しいことをやるには自己変革が必要」ではいけないのか?
私には、働き盛りの人の自己変革の方がはるかに難しく思える。
懸命に生き何かをつかむ、成功体験を得る。
しかし時代は移ろい、それを抱えたままではじり貧になる。
じり貧どころか、経験に頼って日々をやり過ごしていたら、
早晩それは時流から外れて見向きもされなくなる。
そんな時、あなたはどうしますか?
この問いは、成功している場合、とてもつらい。
逆の場合もあるかもしれない。
今はまだ会社の中にいられる、しかし明日の保障はない、
リストラをされるよりは何か自分で道を見つけるか。
でも、もっとよいものに出合えるかなんて、わからない。
ならば多くの人は「選択しないこと」を選ぶのではないか。
成功体験をかなぐり捨てるなんて、考えられない。
そこに安全がある以上、しがみついていたいのではないか。
老いて、座して死を待つのはイヤ、だから「変化」を選ぼう!
は、私から見れば格好良すぎてリアリティがない。
<2ページに続く⇒⇒⇒
■観て終わり、感じて終わりではダメ
このテーマ、「定年後のサラリーマンの生き方」と重ねれば
多くの人が下を向くに違いない。
『今さら「チェンジ」だなんて、ちょっと違う』と。
仮に動画を観て「よし、やってやる」と勇気づけられた人がいるとする。
マンネリな毎日を捨て、もっと努力して道を拓こうという人が。
そういう人を鼓舞するのがこの動画なのかもしれない。
でも、勇気づけられたり、思っただけではダメなのだ。
私が通う塾も「圧倒的な業績を上げる」が最終目標である。
そのためには経営者たる自分が変わる、変わった自分が会社を変える。
いつも、話を聞いた時には「今度こそやるぞ」と思う。
現状を変えなければならない(だから自分が変化しなければならない)と、
そんなこと百も承知しているのに、変わっていない自分たちがいる。
動画にケチを付けて申し訳ないが、美しすぎる物語の欠点はここだ。
美しすぎて、鮮やかすぎて、誰も本気で飛ぼうとしない。
観て終わり、感じて終わり、鼓舞されて、いつの間にか忘れる。
鷲づかみされ、振り回され、突き落とされてみなければ実感なんかわかない。
維新塾でいつも話題になるのは、
やるかやらないか、やったことしか結果は出ない!
であるのに、「変わること」に踏み出す人はまだいない。
■思いと勢いだけで飛び出しただけの私
人の話ではなく、語らなければならないのは自分の話だ。
少なくとも一見、私は「チェンジ」を選んだ少数者の側にいる。
還暦を過ぎて未知の分野で創業しためったにない人物といっていい。
でも、本当だろうか。
本当に私は昔の自分をかなぐり捨て、新しいことに努力しているだろうか。
確かに、昔の肩書を頼ったりはしていない。
一からスタートし、未知のこと、新しい仕事に踏み出した。
しかし、エライのはここまでだ。
勝算も方法論も持たずに、思いと勢いだけで飛び出したから、
まだなんの成功も得ていないし、きっかけすらつかんでいない。
やるかやらないかで言えば、私は「やってきた」だけ。
それも正直にいえば、私が仕事をやれているのは「安全弁」があるからだ。
40年間も会社に勤めてきたごほうびがある。
年金があって、食ってはいけるから悠長なままなのである。
61歳で行政書士になりました、62歳で出版社を創業ですというと、
いちおうみんな「エライですね」という顔をする。それで自分でも、
あの鷹のように”もう1つの人生”を飛翔しているように錯覚していた。
しかし今思うのは、「あまりにも未経験な自分」への苛立ちだ。
■働き盛りに勝負をかける同志たち
同志の塾生の中には、世の中になかったネジの普及に奔走している人がいる。
新しい工法の特許を取り、売り込みに血の汗を流している建築家もいる。
若手のお茶屋さんも新しい販路を求めて試行錯誤をし、目の色を変えている。
みな、まだ目は出ない。
彼らのように働き盛りに勝負を掛けられるだろうか。
定年後の私の「変化」は、その意味ではまだ助走にすぎない。
危険な投資は先送りしている。
「ぜったいの勝ち」が見えなければ冒険なんか、とてもとても。
この点で、起業はしたが、まだ私は企業家になれていない。
だから「鷹の選択」を私は、老いてからの変化という視点では見ない。
いつでも、どんな年代でも、”前の自分”をかなぐり捨てるのは難しい。
考えてみれば自分には、新しい事業のささやかな成功体験さえない。
捨てるどころか、もっともっと経験を積み重ねる段階だ。
塾生は20代から60代まで。
その中では”長老”である。
年こそ食っているが、経営経験はまったく未熟なまま。
しかし今までのサラリーマン人生が「無」では悔しい。
会社でそれなりの地位を得るため、全力で走っても来た。
その体験が、ただそれだけが”武器”だといえる。
今にもう一度、空高く舞ってやる・・・・・
そんな気持ちがないわけではない。
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