けさ、Facebookページに大略、以下のような投稿をした。
★男性諸君よ、女性へのリスペクトが足りない!
セクハラヤジにひそむ男の本音を断てセクハラのヤジを飛ばした都議が“事件”から5日目、謝罪した。
塩村文夏都議(35)がヤジの洗礼を受けたのは「晩婚化」対策を質問しているときだった。
「女性が1人で妊娠、出産、育児で悩んでいる」と発言すると、
「早く結婚すればいいじゃないか!」
「産めないのか!」
「子供もいないのに!」(中略)
「時代錯誤のヤジ」と言われる。
この言い方も、ほんとうは違うな、と思う。
私の感想は
「ようやくここまで来たか」である。
有史以来何千年、人類の歴史から見れば優に数百万年たって、
ようやく「セクハラ」という概念が生まれ、
今、一部の人はそれを“恥”と感じられるようになった。
ここに至るまで、女性はずっと『第2の性』と思われていたし、
それを甘受して生きることを強制されてきた。
セクハラをやり玉に挙げる現代日本社会でも、
「男の意識」は今までとこれっぽっちも変わっていない。
断言してもいい、
「意識」は意識して変えなければゼッタイに変わらない!(以下、略)
言いっぱなしでは申し訳ないと思い、この後に自分の体験をつづった。
会社を退職後、妻を間近に見るようになって初めて彼女の多忙を知った。
外では書道を教え、家では食事をつくり洗濯、時間取れれば家中の掃除をし、
近ごろでは私の父親の介護までやっている。
夜、一緒にテレビを観ていると彼女は眠りに落ちる。
熟睡し、床に就いてからまた熟睡する。
『疲れているんだな』と思う。
まあこんな調子で、私は心底、彼女の健康が心配になる。
そこでささやかながらお手伝いを始めている。
女性がふだんやってくれている仕事を少しばかり経験して、
ほんとうの意味で女性を尊敬できるようになった。
Facebookの記事で「有史以来」や「人類の歴史」まで持ち出したのは、
男性優位の男性側の思い込みは、
<DNAに刻まれた根源的な思いだ>と思うからだ。
<2ページに続く⇒⇒⇒
男にできるのは、せいぜいのところ「仕事」だけではないか。
そんな男がなぜ威張るのか!
なぜ(女性より)エライと思っているのか。この日本に「セクハラの概念」が生まれたのが、
男女雇用機会均等法が生まれた1985年としようか。
以来、30年近くがたとうとしている。
男の意識はそれでもなかなか変わらない。しかし[今回のヤジ」を恥ずかしいと思える感覚、
男の何パーセントかはもったのではないか。
その感覚を大切にしたい。持って生まれた「男の方が上」的な感覚は容易に抜けないにしても、
愛する人を大切に思えば、
意識して「意識」は変えられる。
このような文章を書くと、反発はあるだろうが、大方の賛同は得られる。
「正論」だから、この論に論争を挑む人はあまりいない。
私の思いは「意識して『意識』を変えよう」というところにあるが、
大方の賛同は得られても、
本気の本気で変えようとする人がどれほどいるのか・・・・。
こういった“事件”が起こったとき、当事者をバッシングするのは簡単である。
メディアの弊として、メディアは必ず叩く側に回る。
会見場の記者諸君は、女性の味方のように鈴木議員を追及する。
天に代わって私が成敗、くらいの勢いだ。
でもメディアが、一記者が天に代わって成敗してくれようが、
何が変わるというのだろう。
私が言いたいのはただ1つ―――
みなさん、一緒にこの問題を考えましょう、だ。
一緒に考えて、男は女性の気持ちを少しでもわかるようになる。
助けたくなる、かばってあげたくなる。
これまで生きてきて、私は多くの女性に助けられてきた。
それなのに、それほどお返しできたわけではない。
だから、できることなら何でもしてあげようと思うのだ。
それが私の「女性へのリスペクト」だ。
男の悪い見本になった男をこれ以上、責めたてても意味はない。
それよりも、自分ならどうするか、だ。
そこを一所懸命に考えましょう!
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女性は偉大だと思う。
男は突き詰めればカマキリみたいなものかもしれない。
それを分かった上で男としての行動をしていきたいです。
※誤解しないでほしいのは、女性というだけで媚び諂うということではなく、尊重するということ。その上で男として何ができるのかを考えたいということ。
もし、そういった事を今まで考えた事がないという人がいるとしたら、それはよほど相手の方ができている女性だったか、本当の恋愛をした事ないのでは?なんて思ったりします。