★Facebookは「まとめ屋」兼「拡散マシーン」。本気で熱くなれ、成果はついて来る!

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Facebookは「人の輪」をつくりたがる”まとめ屋”か、それとも”拡散マシーン”か。
まじめに聞かれるとちょっと困る、なぜなら間違いなくその両方なのだから。

 

■Facebookはあきれるほどユニークだ

Facebookは「実名制」だからユニークなのではない。もっとずっとクセが強い。
日本人から見れば、先回りをして「友達」を結びつけるなんて、大きなお世話だ。
でも、ザッカーバーグはFacebookを創った当初から「こうしよう」と考えていた。
ソーシャルメディアを通して「現実の人間関係をもっと濃密なものにできる」、と。

 

彼が意識していたのは学生のコミュニティだ。その中で「認められたい」と思っていた。
だから自分が創るSNSはハーバード大学の仲間たち受けするものでなければならなかった。
超エリートたちは仲間に関心がある。好きな子の一挙手一投足を知りたがっている。
お任せを! 彼は「“関心ある人”とつながりを強くする仕掛けを考案し、実際に作った。
利用者がFacebookを書き換えると、友達に知らされる仕掛けだ。
草創期のソーシャルメディアの中でも今までにない機能で、みな、夢中になった。

 

■情報拡散装置の起点は「友達」が握っている

ザッカーバーグにはもうひとつ、理想があった。情報を隅々まで行き渡せることだ。
情報は権力者が独占するものではない。情報は誰でも発信でき、受け取ることができる。
誰もが情報を共有するようになれば
「世界はもっと公平に、透明になる」と思っていた。
だから彼は、情報を隠さずシェアし合うことを求める。この発想もユニークだ。

 

しかし情報には石もあれば、宝のように価値あるものもある。
でも、石があふれたら世の中にとって「よい情報」が埋没してしまいゃしないか?

情報を仕分ける人が必要だ。「大丈夫!」ザッカーバーグはその役割を「友達」に振った。
友達がいいね!やコメントし、関心をもつ。それが世に広められるべきコンテンツとなる。

 

Facebookでは「よい情報」が拡散する、その起点となるのが「友達」だ    

 

ザックの思いは独りよがりかもしれないが、友達を主役にしたのが成功の鍵となった。
クールで合理的、一方では人間臭く、人の善意を前提にしているからあたたかい。
ここで育つのは血の通った交流であり、功利で結びついた打算ではない。
人と人とをつなぐ「コミニュケーション」の発想が雄大で、図太いのだ。

 

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■よきコミュニティを前提にしたFacebook

 この点、今の日本人の感覚とずいぶん違う。日本にコミュニティなどあるのだろうか。
地域の縁が薄れ、子どもは学校にがんじがらめにされ、大人は会社に縛られている。
他に選びようがないので、集団から外されまいとビクビク、ドキドキしている。
小さな集団がボスを生み、”空気”に支配されて言いたいことも言えない。
そんな中でFacebookが注目されたの「ビジネスに使える」と言われたからだ。

Facebookに求める土壌がアメリカと日本では天と地ほども違う。

 

ザッカーバーグが仕掛けたいいね!の仕組みは、“よきコミュニティ“を前提にしている。
頼みに足りる真の友達や仲間、地域社会、信ずる宗教、人種的なコミュニティなどなど。
対する日本は「会社」のみがエラくなって「個人」は委縮

個人を表に出せば何を言われるかわからない、だから自分のストーリーを語れない。
 

へたなことを書けば、どんなリアクションが起きるか知れない。
そんな心配があっては、あるがままなんて書けるはずもない。
会社の上司も「個」と「公」の区別もつかないリテラシーの低さだ。

部下に友達申請をして困惑させ、書いた記事にはいいね!してくれとねだる。
そんなご仁ばかりではないと思うが、気を使わずに自由に書ける雰囲気ではない。
学校でも仲間でも、業界や地域でも、他と比べて「幸せ」を計る者ばかりだから、
Facebookでリアルの充実を語ろうものなら、陰に陽に嫉妬の波風が立つ。
とてもじゃあないが、今の日本人にFacebookが向いているとは思えない。

 

以上、「今の日本」に対する悪口雑言、反論があればガンガン書いてほしい。
日本がこうだからFacebookなんか使えない、と言い切るのはとても残念だ。

Facebookを使って閉塞感をぶち壊せるものなら、大いに使ってほしい。
社会なんて1人ひとりのほんの少しの勇気で変わっていく。みんなと同じでなくていい。
本音で書けば本音が返ってくる、たぶん孤立はしない。
Facebookは味方発見ツールでもある

 

■「拡散」はFacebookからのごほうびだ

  Facebookは、よき行い、よき精神、よき語りを拡散してくれる。
普通の投稿は”いつもの人”で収束する。それで十分でしょ?とでもいうみたいに。
ところが、一たび人々の心をつかんだ投稿は“大拡散”を起こす。

短時間に多くの人がいいね!やコメントをし、シェアすると奇跡が起きる。
いつもの壁をポーンと飛び越え、とんでもなく多くの人の所にまで記事が届けられる。
突然の大拡散はFacebookからのごほうびだ。  

 

このごほうびの原理は、わかっているようで実は誰にもわからない。
Facebookは友達のニュースフィードに記事を届けるアルゴリズムを公表しない。
法則がわかってしまうと、それを利用してプロモーションに使う者が必ず現れる。
だからFacebookはしばしば誰に記事を表示するかのルールを変える。

 

日本ではうるさいほどの超情報社会だ。SNSといえばすぐ商用利用が語られる。
そのソーシャルメディアがなぜ出現し、何を実現したいのかなんてお構いなし、
Facebookの「拡散機能」ばかりに注目して、勝手な自己PRに利用しようとする。

すると心ある人は顔をしかめやがてその空気が敏感な人たちに伝わる。
効果が落ちたと見るや、今度は商売っ気を隠して“善意を装う”おかしな投稿術ばやり。
下心はすぐに見抜かれて、今ではみんな「商売タブー」みたいに思うようになった。

 

どっちも気持ち悪い、欲得ばかり語る者も、身ぎれいにアレルギー反応を示す者も。
もっと自然でいいではないか。Facebookをやる以上、何か伝えたい事があるのだろう。
商売、仕事に賭けている時期ならそれを前面に出せばいい。出したら「ノー」なのか?
売込み、PRと見ればすぐに構えてきのうまで親しかった人までスルーするなんて・・・・
私には大人げない、友達甲斐のないつきあいに見える。

 

人の懸命な呼びかけにスルーで返す反応は「商売っ気投稿」に限らない。
趣味やサークルのこと、ボランティアや地域活動、イベントへの呼びかけ、
そのことごとくが日本のFacebookでは期待したような反応を得られない。だから
Facebookで仕事を正面から語る人は少なくなり、自己PRもきわめて抑制的になる。
Facebookがつまらないわけだ。
人生のいちばんの大事が語られないのだから。
もっとも力を入れていることを語らないなら、エキサイティングになるわけがない。

 

■自分の人生の芯(しん)を語ろう

もったいない話だ!
Facebookは「拡散」というごほうびまで用意して良い投稿を待っているというのに

それなのに小手先ばかりがもてはやされる。
「文章は短い方がよい」といわれれば短文ばかり、
写真付きがよいならみな写真付き。
何を実現したくて、そんならちもないテクニックを信奉するのだろうか。

 

書いているなか見こそが重要だ。ビジネスだろうが商売だろうが、
みんなが圧倒的に共感すればその投稿が「よきもの」になる!

 

もっと自由に、奔放に、自分の人生の芯(しん)を語ろうではないか。
みなが共感すれば、その投稿は生きもののように広がっていく。
ふだん交流している人たちを説得できるか、共感してもらえるかどうか。
友達も、相手が真剣ならソッポを向くのはやめよう。

 

 Facebookは小さくもまとめるし、同時に大拡散を助けもする。
人を気にして自分を抑えるより、「自分」を発揮して熱く語ろう。
そして投稿に熱さを感じたら素直に共感を! 
応援すべきときはいつだって「今だ」!!

 

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ジャーナリスト石川秀樹>■■電本カリスマ.com

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