★Facebookと向き合うもう一つのコツ 「人の言葉に惑わされ自分を変えるな!」

Facebookに向き合うもう1つのコツ
Ads by Google




Pocket

 

Facebookと向き合うもう1つのコツについて――。
きのうは「人生を変えるツールにしたければこのブログを読め」と大言壮語してしまった。Facebookがエラい、大したSNSと言いたいのではない。
しかし実名で書き続けていくというのは、やはりスゴイことなのだと思う。
たぶん、あなたは変わる。

 

 ブログを書いている人はたぶん共感してくれると思う。
「自分」をさらして書き続けることは、たいへんだろう?
ブログは必ずしも実名ではないけれど、
書き続けている人は匿名も「自分」であり、プライドを持つはずだ。
すると、なまなかのことは書けなくなる。
下手なことを書けば“名が廃(すた)れる”と誰しも考える。

 
Facebookは書くことは小出しでも、「自分をさらしての発言」だ。
でも、ブロガーと同じ覚悟をもってやっている人はずっと少ない。
そりゃそうだ、たいへんだもの。
自分と真剣に向き合い“生身”を出すなんて、やってられない。
だから毒にも薬にもならない投稿が多くて、ブログほど深くなっていかない。

 
だからそういう中で、ブログと同等の重みを感じ、覚悟して書く人は、
やはり人生が変わっていくんじゃないだろうか。
   

Facebookに向き合うもう1つのコツ

Facebookは実名制のソーシャルメディア。いつもスーツ姿で身構える必要はないが、かと言ってパジャマ姿ではいささか具合が悪い

 
■ビジネスに使えるからFacebookをやるのか

よくある「Facebookはビジネスに使えるか」という議論、
問い掛け自体がまるで陳腐だ。
2003年にブログがヒートしたときも、ツイッターの時もFacebookでも、
日本ではすぐに「“ビジネスに使える”大合唱」が起きる。
どのケースでも、結論は見えすいている。

 
例えば何かのお店をやっている場合。
はやらない店が何も努力せず、何も変えずにツイートしたところで、
まぐれ当たりの客は来ても、にぎわいはすぐに消える。

 
ましてFacebookだ。
たまさかFacebookの友達になった人を「見込み客」扱いで付き合えば、
その本音は一瞬にして見破られてしまうだろう。
Facebookで成果を上げている人は、
始めたことをきっかけに事業を見つめ直した人だ。
何も変えず、FacebookをPRツールだと思っている人に、報酬はない。 

 

ブログでもツイッターでも同じではないか。
どれも決して“なんにでも効く魔法のツール”ではない。
しかし「使う」と決めて真剣に格闘した人には道が拓けるときがある。

 
そうした中で、Facebookの長所と言えば「実名主義」だ。
真っ向からあなたの実力(信頼に足る力)を示すことができる。
信頼にこたえようと自分の目標を見つめ直し、軸をつくるからだ。
成果が出るとしたら、それはFacebookの手柄ではない。
あなたが変わることが何よりの報酬だ。

 
Facebookだけが特別なツールだと思わないでほしい。
ウソをつかず裏表なく、商品・サービスに磨きをかけているなら、
Facebookがなくても事業は着実に伸びていくと思う。
Facebookにできることは、ここにこういう人がいることを示すだけ。
でもそれが、とてつもなく大きな効果なのだと思う。
誠実で力があっても知られていない人は多いから。

 
■パジャマ姿で人前には出ない

うーん、15ページの本題からはだいぶズレてしまった。
書くべきは「ニュースフィードとタイムライン」の違いだった。
その辺はあす以降で書くことにしたい。
それより大切なのは、Facebookに向かう姿勢だ。

 
なにも「かしこまって書きましょう」などとはいわない。
そんな姿勢じゃつまらないじゃない。
ただ、Facebookは主に「書く」という作業だ。
写真だって同じ。
あなたが“発表する”んだから、その行為はとても重い。
仲間内で雑談するのとは違う。
しかもあなたは、それをずっと続ける気でいる!

 
「たいへんですね」と僕はあなたをねぎらいたい。

 
人ごとじゃない、僕自身「しんどい」と思っているんだ。
でも、歯を食いしばってがんばりはしないよ。
めんどくさいなと思えば書かないし、
思いをぶっきら棒に投げ出すように書くこともある。
緩急自在といえばかっこういいが、煮詰まらないようにとやっている。
 

素(す)の自分以上に書こうとしても、
ウソっぽくって『イヤだな』と感じてしまう。
こういう心情が自然に引き出されるFacebookはやはりすごいと思う。

 
「自分らしさ」なんてことに一瞬でもこだわるとしたら、
それは実名で書いているからだ。
そして、つくったような付け焼刃は通じないと知っているからだ。
もっと簡単にいえば、
パジャマ姿で人前には出られないものね(男の僕でも)。

 
ま、僕がいつも長々書いて言いたいことはそういうことなんですよ。
下着では往来に出ない。
かといって、よそ行きばかりじゃしんどい。
ならば、「普段着がいいんじゃないですか?」と。

 

■突っ張ることも、迎合することもない

 あっ、もう1つあった。
Facebookと向き合うコツの中の“コツ”が!
それはね、人の言葉に惑わされないことです。

 
共感され誉められることもあれば、非難されて孤立することもある。
書き始めると「いいね!」をもらえるか、気になる。
気にしない、俺流、わたし流でもいいけれど、肩ひじ張ってもつまらない。
だからといって、人にすり寄って合わせてみても、もっとつまらない。

 

だって、自分は自分なのだから。
あなたの人生を、誰も代わりに演じてはくれない。
書いたことで誰かから茶々を入れられても、動じないでほしい。
「それは私の問題・・・・(あなたの問題ではない)」
ウルサイ!ダマッテロ!! 』。心の中でそうつぶやいていればいい)

 

Facebookはすばらしいソーシャルメディアだと思う。
すばらしいけれど、Facebookがエライわけじゃない。

エライのだとしたら、Facebookをやったことで変われたあなたがエライんだ。
Facebookは人生の道具の1つ。
道具1つで人生は変わること、確かにあるのだと思う。

 

【関連の注目記事】

★実名にビビる日本のユーザー事情㊦ Facebookをつまらなくさせた自己規制癖

★Facebookは「まとめ屋」兼「拡散マシーン」。自分を語れない人には無用の長物!

★誰も書かなかった「いいね!」の原理 わかったつもりの人はつまづく!

★『人の輪』を創りたがるFacebook あなたの投稿は友達に届いていない!?

★Facebookは「人を選んで届けるわがままな配達人」 あなたの意思は無視される!

ジャーナリスト石川秀樹>■■電本カリスマ.com

Ads by Google





…………………………………………