★Facebookで”顔出ししても大丈夫な設定”、やっぱりなかった!

最も非開示のプライバシー設定
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※この記事へのご来訪、ありがとうございます。
新しい事実に気づいたので全文を書き換えました。
“顔出ししても大丈夫な設定“はあるのです。記事はコチラ↓です。

★Facebookで“顔出ししても大丈夫な設定”見つけた! 「ブロック」と合わせ技で実現

 

Facebookでプロフィール写真をさらしても大丈夫な設定、あるのだろうか。

 

Facebookは実名のアカウントを使うのがルールなので、
現在の日本のようにやれ「空気を読め」の「いじめがどうした」に
神経をピリピリさせる環境では”ビミョー”扱いされても無理はない。

 

先日は「うっとうしい人に投稿を読ませない法」を書いた。
「制限リスト」などを使って投稿限定の疑似ブロックを掛ける法だ。
これで苦手な相手への過剰な意識がかなり解消されるはずだが、
ここまでやっても「顔出しても大丈夫」にはならないみたいだ。

 

■プロフィール設定で「姿」を隠せるか

以前、Facebookにプロフィール写真を載せない長男と議論したことがある。
長男:「僕には動静を探られたくない人が5人いる」
わたし:「制限リストを使えばいいじゃないか」
長男:「僕がFacebookをやっていること自体、知られたくないんだ」
わたし:「知られない方法はあるよ。プライバシー設定が使える」

 

その時の私は、この設定で「顔出しOKだ!」と思っていた。
ブルーバーの右端「▼」マーク → 設定 → プライバシー設定
まず私の設定を見ていただこう。
投稿の共有範囲を「公開」にしているから開放的な設定にしている。

 

最もオープンなプライバシー設定

私のプライバシー設定は実に開けっぴろげで「防御意識」はほぼゼロ!

 

▽投稿の共有範囲=公開
▽私に友達リクエストができる人=全員
▽メッセージを受け取る相手=基本フィルタ(大半の人が送れる)
▽メールアドレスから私を検索できる人=全員
▽電話番号を使って私を検索できる人=全員
▽外部検索エンジンがFacebookで私を検索できるか=はい

 

ご覧の通り、私は自分の姿をまったく隠していない。
この逆の設定をすれば「姿」はほとんど隠せるはずだ(と思っていた)。
以下に最も防御的な(非開示型の)設定を示す。

 

最も非開示のプライバシー設定

Facebookは実名だがプライバシーについてはコントロールが可能、だと思っていた

 

▽投稿の共有範囲=カスタム(「自分のみ」とはせず友達を絞り忌避リストも使う)
▽私に友達リクエストができる人=友達の友達(これ以上絞り込めない)
▽メッセージを受け取る相手=絞り込み(友達中心になる)
▽メールアドレスから私を検索できる人=友達(これ以上絞り込めない)
▽電話番号を使って私を検索できる人=友達(これ以上絞り込めない)
▽外部検索エンジンがFacebookで私を検索できるか=いいえ

 

■Facebookは「友達」を最重視

あらためて設定を並べてみると、ある特徴に気づかないだろうか。
そう、Facebookは「友達」の存在を重視し絶大な信頼を寄せている。
「友達をしっかり選んでおけば何の問題もない」と言わんばかりだ。
事実、まさにFacebookはそのように考えている。

 

しかしこの設定、よく見るとおかしいところだらけなのだ。
例えば、メアドと電話番号で検索できるのは「全員」か「友達」。
しかし友達はすでに「友達」であるから、検索する必要がない。
意味があるとすれば「全員」で、範囲がいきなり広がっているのだ。
これにより、細かいより厳密な設定が排除されてしまった。
(新しい友達を得たい人は「公開」に設定せざるを得ない)

 

メッセージも、見ず知らずの人からは受け取りたくない人がいる。
だから「友達以外は不可」という設定があっても良いはずだが、
メッセージの到着場所を別の場所(左サイド)に変えただけ。
そのおかげか、まあ、「LINEに誘導する詐欺メッセージ」などは
直接届かず、左サイドのメッセージ欄に行くようになったけれど。

 

■Facebookの設計思想は「すべて公開」

こうした設定は、Facebookがうかつだからではない。
れっきとした方針に基づいた設計なのだと思う。
Facebookの基本的な設計思想は「すべて公開」である。
写真上の私の設定は”超オープン”だが、本当のことを言うと
この設定は、Facebookのデフォルト設定どおりなのだ!

【注】Facebookは2014年5月からデフォルトの投稿の共有範囲を「友達」に変えた。

 

Facebookは2006年にニュースフィード(NF)の機能を公開し、
友達のアクティビティーをニュースフィードに流すようにした。
「誰と誰が友達になった」「誰かが交際ステイタスを変えた」
その他諸々の人間関係や友達の行動が、頼まれもしないのに配達される。
だからアメリカでもさすがに問題視する人々の大合唱が起きた。

 

そこでFacebookはやむなく(そう、仕方なくだ!)
「プライバシー設定」をユーザーがコントロールできるようにした。
とはいえ基本は、”なんでもかんでも公開が好ましい”なのだ。
長男が問題視しているのがまさにこの点で、
Facebookで顔出ししない多くの人たちが「顔」や「本名」を隠そう、
『とてもじゃないが顔出しなんてできない』とする理由だ。

 

この辺から私は長男から大反撃を受けることになった。

 

■プロフィール写真の「公開」がネック

◎長男からの主な反論

①カバーやプロフィール写真は「公開」で閲覧制限がきかない
②自分の投稿へのシェアやタグ付けを禁止できない
「これではいくら投稿の閲覧制限しても、自分の存在は知られてしまう」

 

「そうだろうか、”顔出ししても大丈夫な設定”は必ずあるはずだ」
私は懸命に抗弁する。
①プロフ写真は公開でも検索自体がきかないのだから探しようがない
②シェアは投稿元の共有範囲に従うから不意打ちの拡散は防げる
③タグ付けは「タイムラインとタグ付け」で細かい設定ができる

 

長男が肩をすくめるようにしてなおも反論する。
「お父さん、Facebookをやっている人は”リアルの友達”が多いでしょ、
だからタグ付けされた写真を自分のウォールだけに止めたとしても、
誰かがタグ付けした人のウォールを見れば僕の存在は知られてしまう」

 

■いいね!もコメントも漏えい源だ!! 

『なるほどなぁ、そこまでナーバスになっているのかぁ』
なんでも「公開」で書いている私には理解できない気の使いようだ。
そんなことを考えているうちに、もっと身近な漏えいに気がついた。
ほかでもない、「いいね!」である。

 

なにげなく行っている「いいね!」でさえ、
「存在を秘したい人」にとっては大きな漏えい原因になる!

 

あなたが友達の投稿に「いいね!」をする(当たり前のアクションだ)。
しかしその友達が投稿の共有範囲を「公開」にしていれば、
あなたと友達でない人が、あなたがいいね!したことを知ることが出来る。

 

コメントも同じだ。
あなたが何気なくコメントを書く。
書いた先が「公開」の人なら、あなたのコメントを友達でない人が読める。
こんなことを気にし始めたら、Facebookは楽しくないだろう。

 

■ブロックも偽アカウントには効果なし

結局、息子とのFacebookディスカッションは私の負けのようである。
実名、顔出ししていればいつか「存在」は知られてしまう。

 

最後の手段、ブロックがあるじゃないか、だって?
いや、それもダメだ。
健全な常識人ばかりならそれで一件落着だが、
ストーカーのような粘着質を相手にしている場合は、
別人に成りすましされたらブロックも意味がなくなってしまう。
(メアド1つでFacebookでは新規アカウントが作れる!)

 

息子を説得するには正面からFacebookを使う意義を説くしかなさそうだ。
「信用を得たければ顔出しは必要だぜ」と言っても長男は笑っている。
我ながら説得力がない・・・・。
第2ラウンドは次回に(秘策はないが、言いたいことはある)。

 

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ジャーナリスト石川秀樹>■■電本カリスマ.com

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