「情報には対価を払いましょう」という真意を伝えるのは難しい。
本を買おう、新聞を購読しよう、音楽は正規にダウンロードしよう――
などと説教くさいことを説くよりは、
もう少し分かりにくいことをお伝えしたいのだ。
それは「情報への敬意」ということである。
今の時代、電子書籍は信じられないほど安価なものがあるし、
ニュース記事はほぼ無料が当たり前になっている。
音楽もその気になれば、無料でかなり広範囲をカバーできる。
いずれの場合も著作権保護上、好ましいとは言えない。
だから敬意を払う意味では「対価」を払うのは当たり前だし、
「払う」ということを現代人の常識にしてもらいたいと思う。
これは情報に接する姿勢の大前提であり、これ以上はいわない。
ここからが本題だ―――
先に結論をいっておこう。
- 情報発信するということは(受け手が想像できないくらいに)たいへんである。
- その情報を活かすには、受け手の側にも能力が必要だ。
- 情報活用する力は訓練と姿勢で、誰でも身につけることができる。
情報発信がいかにたいへんな作業か。
私にとって身近な新聞記者の生態をちょっと紹介したい。
情報発信する(=記事を書く)ためには情報を取らなければならない。
情報源は人だ。
社会部(に限らないが)記者はこれに苦労する。
守秘義務を持った公務員が相手、捜査情報など漏らしてくれるはずがない。
ないけれども、相手も人間である。
という話を書き始めると延々、切りがない。
人間関係を築けずに挫折する記者は少なくないのだ。
これはどの分野、どの業界、どの職種でも同じ。「人間」には苦労する。
記者の場合、読者から見れば新人もベテランもない。
学者並みの知識も、昨日配属されたばかりの記者の知識も記事の上では区別がない。
新聞という土俵に上れば、すべて事実だとして読まれるわけである。
書く側からすれば、これはまことにおそろしい状況だ。
だから記者は必死で勉強する。
<2ページに続く⇒⇒⇒
- 1
- 2