■観て終わり、感じて終わりではダメ
このテーマ、「定年後のサラリーマンの生き方」と重ねれば
多くの人が下を向くに違いない。
『今さら「チェンジ」だなんて、ちょっと違う』と。
仮に動画を観て「よし、やってやる」と勇気づけられた人がいるとする。
マンネリな毎日を捨て、もっと努力して道を拓こうという人が。
そういう人を鼓舞するのがこの動画なのかもしれない。
でも、勇気づけられたり、思っただけではダメなのだ。
私が通う塾も「圧倒的な業績を上げる」が最終目標である。
そのためには経営者たる自分が変わる、変わった自分が会社を変える。
いつも、話を聞いた時には「今度こそやるぞ」と思う。
現状を変えなければならない(だから自分が変化しなければならない)と、
そんなこと百も承知しているのに、変わっていない自分たちがいる。
動画にケチを付けて申し訳ないが、美しすぎる物語の欠点はここだ。
美しすぎて、鮮やかすぎて、誰も本気で飛ぼうとしない。
観て終わり、感じて終わり、鼓舞されて、いつの間にか忘れる。
鷲づかみされ、振り回され、突き落とされてみなければ実感なんかわかない。
維新塾でいつも話題になるのは、
やるかやらないか、やったことしか結果は出ない!
であるのに、「変わること」に踏み出す人はまだいない。
■思いと勢いだけで飛び出しただけの私
人の話ではなく、語らなければならないのは自分の話だ。
少なくとも一見、私は「チェンジ」を選んだ少数者の側にいる。
還暦を過ぎて未知の分野で創業しためったにない人物といっていい。
でも、本当だろうか。
本当に私は昔の自分をかなぐり捨て、新しいことに努力しているだろうか。
確かに、昔の肩書を頼ったりはしていない。
一からスタートし、未知のこと、新しい仕事に踏み出した。
しかし、エライのはここまでだ。
勝算も方法論も持たずに、思いと勢いだけで飛び出したから、
まだなんの成功も得ていないし、きっかけすらつかんでいない。
やるかやらないかで言えば、私は「やってきた」だけ。
それも正直にいえば、私が仕事をやれているのは「安全弁」があるからだ。
40年間も会社に勤めてきたごほうびがある。
年金があって、食ってはいけるから悠長なままなのである。
61歳で行政書士になりました、62歳で出版社を創業ですというと、
いちおうみんな「エライですね」という顔をする。それで自分でも、
あの鷹のように”もう1つの人生”を飛翔しているように錯覚していた。
しかし今思うのは、「あまりにも未経験な自分」への苛立ちだ。
■働き盛りに勝負をかける同志たち
同志の塾生の中には、世の中になかったネジの普及に奔走している人がいる。
新しい工法の特許を取り、売り込みに血の汗を流している建築家もいる。
若手のお茶屋さんも新しい販路を求めて試行錯誤をし、目の色を変えている。
みな、まだ目は出ない。
彼らのように働き盛りに勝負を掛けられるだろうか。
定年後の私の「変化」は、その意味ではまだ助走にすぎない。
危険な投資は先送りしている。
「ぜったいの勝ち」が見えなければ冒険なんか、とてもとても。
この点で、起業はしたが、まだ私は企業家になれていない。
だから「鷹の選択」を私は、老いてからの変化という視点では見ない。
いつでも、どんな年代でも、”前の自分”をかなぐり捨てるのは難しい。
考えてみれば自分には、新しい事業のささやかな成功体験さえない。
捨てるどころか、もっともっと経験を積み重ねる段階だ。
塾生は20代から60代まで。
その中では”長老”である。
年こそ食っているが、経営経験はまったく未熟なまま。
しかし今までのサラリーマン人生が「無」では悔しい。
会社でそれなりの地位を得るため、全力で走っても来た。
その体験が、ただそれだけが”武器”だといえる。
今にもう一度、空高く舞ってやる・・・・・
そんな気持ちがないわけではない。
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